2012年

11月

28日

中国・韓国vs日本

これまた読書もの。今回は対中国、韓国との関係を書いた櫻井よしこさんの本。

 

彼女のジャーナリストとしての知識の豊富さ、論理の鋭さに驚嘆。大国中国の立場を主張する論客からの挑戦をつぎつぎと論破していた。

 

中国と言う「国」の立場、姿勢が改めて理解できた。国と言うよりも共産党と言った方が正解かも知れない。強硬に党としての主張を押し付ける中国。それに対して何の戦略もなく押されるお人よしの日本と言う構図が見えてくる。

 

それにしても歴史と言うのは事実があってないような感じがする。事実をどう解釈するか、によって同じ事実が別の事実になってしまう。絶対の事実を共有できないものか。上海の大虐殺について外国のジャーナリストが報じたからそれは事実である、と主張する中国。いやそのジャーナリストは中国共産党から資金を得ていたという事実。こうした状況をどのように解釈するか。事実と言われていることでも真実でないこともあるようだ。

 

混沌とした日中関係は真実を度外視した政治判断の世界だ。むつかしい。

 


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2012年

11月

13日

「ゼロリスク社会」の罠

久々の読書もの。

 

人間はリスクを読み違えることがある、と言うのがテーマ。

 

我々を取り巻く社会にはリスクがゼロの事象は考えられない。感覚的にリスクがあるからそれを避けるだけではすまない。リスクを避けるためのコスト、リスクの発生頻度、、、と言うようなことを定量的にとらえて判断することが必要ではないか、と言っている。

 

以下は、読書ノートの抜粋。内容については感覚的に分かるかもしれない。

 

 

 

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2012年

9月

17日

「そうだったのか!、中国」

この連休中はこの本に没頭してました。例のセンカク問題がきっかけでした。

 

毛沢東が新生中華人民共和国の宣言をしたのが1949年。私が生まれた年だ。この時から、毛沢東の「大躍進政策」。そしてあの「文化大革命」。そして、鄧小平にひきついで1989年の天安門事件。その後の驚異的な経済発展までの60年間の中国の歴史を池上流の「わかりやすい」筆致で紹介している。

 

読み終わっての率直な感想は、自分のこれまでの中国について不勉強だったこと、そして中国の指導者の権力闘争に翻弄されてきた中国人民の憐れさ、だった。

 

 

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2012年

8月

08日

四国遍路

最近は四国遍路関係の本を読み漁っている。これもそのうちの一冊。世界中には有名な巡礼路がいくつかあるが四国遍路路はその長さ、歴史においても有数のものだ。スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」も有名だがこれは800Km。四国遍路は1200Kmだ。競う必要はないがこの四国遍路には随分と前から興味があった。

 

全行程を歩くと40-60日。サラリーマンには無理な巡礼だ。そのサラリーマンを終える日まであと2年と2か月になってこの巡礼が実現する時期が近付いている。そぞろ興奮してきた。

 

ネット上にはいろいろな方がその経験をもとにして記事を書いている。こうしたサイトの記事を読んだり、遍路の紀行文を読んだりの毎日がつづく。

 

この本は元新聞記者が70歳近くになって通し打ちと呼ばれる遍路をした紀行だ。さすがに物書きを職業としているだけにきれいな文章だ。遍路の歴史もしっかりと調べてありさすがに新聞記者の書く文章はすばらしい。高貴な文章だ。

 

 

 

 

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2012年

7月

21日

ハーバード白熱日本史教室

きょうはこの本に釘付けになった。梅雨が明けたのにまた梅雨空で特別な計画もなかったので昨日東京駅の本屋で購入したこの本を朝から読み始めた。

 

久しぶりに爽快な気分になった。若い女性がいろいろなところで活躍している話はマスコミを通じて知っていたがこの方もその一例でしょう。若干29歳にしてハーバード大学の教授になり3年連続で生徒から最高の評価を受け、おまけにベストドレッサー賞ももらったという才媛のお話。

 

 

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2012年

6月

02日

不思議なキリスト教

今朝も早朝に10Kmのラン。でも屋外活動はこれだけ。最近はもっぱら屋内活動だ。

 

知人の紹介でこの本を読んでみたがかなり興味を持って読み終わりました。キリスト教の生い立ち、考え方などについての二人の社会学者の対談集です。

 

高校生のころには若さからくる好奇心でキリスト教に片足を踏み込んだことがある。結局、どっぷりとつかることなくすぐに引き上げたがその後滞米中もお世話になった家族と一緒に教会の日曜学校にはときどき行っていた。と言うことなのでキリスト教について、と言うよりも聖書には親しんできた。

 

今回、ユニークな発想の本だという印象を持ちながら読んでいた。時には大胆に聖書のなかの出来事を解釈しているし、時には哲学的に書かれているし、時には著者の広い知識を表していた。キリスト教とはイスラム教とかユダヤ教について、それぞれが生まれた時代背景などについての知識は対談者と比べれば何十倍も少ない私としてはなるほど、と納得しながら読んでいたが荒っぽい感じがしていた。

 

 

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2012年

5月

27日

自分の体のこと

重要な病気になって入院するとその病気のことを調べるために多くの患者はその病気のことをいろいろと調べる。医師の説明とは別の知識を仕入れて自分の体のことを理解したいわけだ。

 

当然私も同様に自分の怪我のことに興味がある。事故直後は入院中にネットでいろいろな記事を検索した。同じ怪我をしたかたの体験記をブログで読んだ。専門医が書いた解説記事も読んだ。

 

退院してからもいろいろな本を読んでみた。脳神経のこと、筋肉のこと、体調管理のこと、、、、、。

 

今日は早朝に10Km走った。けがの後で初めての10Kランだったので満足してその後は終日自宅で静かに過ごした。そして関連本を読んだ。簡単な紹介。

 

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2012年

5月

24日

下山の後のこと

何日か前に書いた「下山の思想」というブログ記事を妻に見てもらった。

 

最後の

 

下山するにしても、すくなくとも堂々と西の空に沈んで行き、そしてまた東の空から昇りたい。違う形で。」

 

という文書にクレームがついた。五木寛之は「下山してから再び山頂を目指すことではない」と言っている、とのことだ。確かにそうだ。

 

大事なのは下山する過程であり下山して「次」の世代にバトンタッチすることかもしれない。再び同じことを繰り返すために改めて「登る」必要はないでしょう。

 

 


 

生涯現役、登り続けることもいいかも知れない。

 

潔く堂々と下山して次に登る世代を助けるのもいいかもしれない。

 

模索が続きます。

 

 

 

 

 

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2012年

5月

12日

下山の思想

戦後からの50年は日本としての成長期だった。そして、山の頂にたどりついた。


そして今、下山が始まった。これは後退することではない。マイナス思考ではない。
日本のこれまでの姿を振り返って五木寛之が震災前後に書き留めた文章を集めたもの。なんとなく自分の人生にかぶせて読んでみた。
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2012年

5月

03日

入院中の読書

4月7日に入院して最初の一週間はテレビを時々見るだけでそれ以外は寝たりおきていてもぼーっと考えごとをするだけだった。読書をする気持ちになれなかった。

 

二週間目になって村山医療センターに転院してからは落ち着いて読書をするきもちになった。部屋も広い個室で居心地がよかった。近所に雷塚図書館があってそこからも何冊か借りて読んだ。

 

 

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