下山の思想

戦後からの50年は日本としての成長期だった。そして、山の頂にたどりついた。


そして今、下山が始まった。これは後退することではない。マイナス思考ではない。
日本のこれまでの姿を振り返って五木寛之が震災前後に書き留めた文章を集めたもの。なんとなく自分の人生にかぶせて読んでみた。
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朝日と夕日と、どちらがすぐれているか、などという議論は意味がない。日は昇り、そして空を渡り、やがて西のかなたに傾いていく。
夕日の美しさ、落日の荘厳さに心を打たれる人は少なくないだろう。日はまた昇る。しかし、それはいったん西のかなたに沈んだあとのことである。
落日といい、斜陽という。そこには没落していくマイナスの感覚がある。しかし、私は沈む夕日のなかに、何か大きなもの、明日の希望につながる予感を見る。
日は、いやいや沈むわけではない。堂々と西の空に沈んでいくのだ。それは意識的に下山をめざす立場と似ている。
私たちは山頂をきわめた。そして、次なる下山の過程にさしかかった。そして、突然、激しい大雪崩に襲われた。下山の過程では、しばしばおこりうることだ。
そのなかから立ち上がらなければならない。そして歩みつづけなければならない。しかし、目標はふたたび山頂をめざすことではないのではないか。
見事に下山する。安全に、そして優雅に。
その目指す方向には、これまでとちがう新しい希望がある。

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私たちは高峰をめざして、必死で登ってきたのだ。それは世界を驚かす奇跡の登頂だった。

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このあたりで一休みして、落ち着いて下山のプランを練り直すこともできそうだ。どこに下山するのか。その先に何があるのか、さまざまに想像すると、かすかな希望の灯が見えてくるような気がするのだが。
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バブル崩壊以降、大震災にあうまでもなく日本は「登山」から「下山」に進んできた。こうしたこれまでの日本の戦後の姿は私の人生とも符合する点がある。日本の高度成長期である1970年代に社会に出た。そして、渡米、帰国してから結婚。二度の転職。他人とは比較したくないが自分なりに満足できる生活を送ってきた。私生活では登山、テニスを楽しみ、50代で自転車を始めていろいろなところに出かけてきた。そして60代になってからさらにランニングで活動範囲を広げてきた。これまでは高みを目指す登山を続けてきたと言えよう。そうした中での先月の事故による怪我。この怪我の影響が今後いつまでどの程度続くかはわからない。しかし、少なくともこれまでの活動を同じように継続することなないといえるような影響はあると思う。

下山の時期にさしかかったかもしれない。

下山の意味は何か。ゆっくりと景色を眺め、小さな花を探し、友と語らい、、、そして家に帰ってゆっくりとするひと時を待ちわびる。今回の山行を整理する。こうしたライフスタイルもあるだろう。まだどのように変化するか見えてないし決めてもいない。

下山するにしても、すくなくとも堂々と西の空に沈んで行き、そしてまた東の空から昇りたい。違う形で。