能登半島一周   2009.9.6-9.9

金沢からぐるっと回って輪島、珠洲、七尾、氷見までの430Km、4日間の旅。

 

金沢から氷見まで430Km.丹羽さんの「日本のベストサイクリングコース10」にも載っていていつか走りたかった能登。何ともその風景、家並み、雰囲気、コースが大いに気に入った。


出来る限り海岸線に近いところを走ることだけを決めて走ったが結果的にかなり忠実にトレースできた。そのお陰でとんでもない山登りをしたり、行き止まりの道に立ち往生したり、目指していた観光ポイントを見逃したり、と言うこともあった。(走行コースは4日目にあります)
4日間ともの天気はよくて気温も25度くらい、日本海からの北風が冷気を運んできてあまり汗もかかなかった。


結果的に、「こういう自転車の旅をしたかったんだ」、と言う私好みの旅になった。

 

 

 

 



一日目

 
早朝、家族が寝ている間に出発。近くの駅まで走ってから新幹線、特急を乗り継いで金沢駅。すぐに自転車を組み立てて11:30ころに出発。天気は晴れ。日本海からの爽やかな風が気持ちいい。
まず、日本海を目指して市内の大通りを走る。交通量が多く、大型車がどんどん走っていく。向かい風と追い抜く車の風にあおられて走りにくい。10分ほどで初めての日本海を望める場所に着いた。素敵な住宅が立ち並ぶ臨海のコース。すぐに自転車専用道に入った。大海原を左手に眺めながら走る。さあ、いよいよ待望の旅が始まったと少し興奮。
ところがその大海原はすぐに見えなくなった。自転車道は能登有料道路に沿って走っているがかなりの部分が高速道の側道、あるいは防風林の中で海は見えない。高速道を走る車の音だけが聞こえる。潮騒は聞こえない。しかも自転車道には海岸から飛ばされてきた粉のような砂が各所に溜まっていて自転車のタイヤを取られる。慎重に走った。丹羽さんのガイドブックには「退屈したら内陸の道を走ってもよい」と書いてあった。確かに眺めがすくないこの道は退屈する。高速道の下をくぐって内陸の道に入った。静かな田舎道が続いていた。なんだ、こちらの方がはるかにいい。落ち着いて走れた。
途中の高速道のSA高松
は自転車道からも入れるのでここで昼食。
千里浜は砂浜ながら「渚ドライブウエイ」と呼ばれて観光の車がどんどん走っている(写真ヒ左)。同じくガイドブックには自転車も走れると書いてあったので走ってみたが200mくらいであきらめた。砂にタイヤを取られて何回も落車しそうになった。ロードの細いタイヤでは無理な話しだ。
志賀町に入るころには海岸に沿って道路があるのでここを走った。この辺からはすでに大小の入江があるとそこには必ず漁民の集落ができている。次から次に現れるこうした集落の中を車の心配をしないで快適に走り抜ける。天気もいいし汗をかかない程度の気温が快適だ。
観光ポイントにはあまり興味がないが話の種に少しは見ようと思ってまず日本最古の木造灯台である旧福浦灯台を見物(写真中央)。ここを見てから一人がやっと歩けるだけの小道を登って集落に着いた。そこから下にある小さな入り江とそこにひっそりと建つ家屋が目に入って実に印象深かった(写真右)。片田舎に静かに暮らす人たちがいる。そんな中を快走するのを望んでいた。それが今現実になっている。幸せな限りだ。
志賀町に入ってからもう一つの観光ポイントである世界一長いベンチに行ってみた。これは地方都市によくあるどうでもいい世界一物。でもちゃんと座って写真を撮った。
5時ころにここの富来サイクリングセンターにあるホテルにチェックイン。ホテルと言っても公共の宿。ここでもう一人の自転車旅行中のローディーと会った。一緒に食事をして自転車談義に話が咲いた。大阪から来たらしい。
一日目:85km総上昇:520m




二日目

 
ホテルをチェックアウトする際にここのおじさんはレジスターの操作に不慣れでレジスターが開かない。いつも担当している人に電話で聞いたりしてすったもんだで30分以上かかって精算完了。やれやれ、先が思いやられる。8:15に出発。今日も天気がいい。

昨日と同じように海岸に沿った道を行く。同じように入江には漁民の集落が次々と現れる。
気が付いた、この辺の家屋はすべて黒瓦の大きな屋根、そして漆を塗った板壁が特徴的だ。冬の厳しい風雪に耐えるような家の形としてこうなったのだろう。海に向かった面は高い塀があったり竹を束ねた間垣があったりそして窓はあくまでも飾りを廃したシンプルな形。直線を主体にしたがっしりとした質実剛健と言う感じの家が気に入った(写真左)。
こうした家並みの風景を日本の原風景だと言う人が多いらしい。確かに穏やかに静かに暮らす国民を象徴しているような気がする。
富来から順調に海岸沿いの道を20Kmくらい走ると門前町に着いた。ここで249は内陸を輪島まで続いているが最初からこちらに行くつもりはなく分岐を海岸の道へと進んだ。結果的にここから困難な道が始まった訳だ。
3km位走るとすぐに道は海岸線をはずれて山に登り始めた。ここから海岸線の道は無くなった。そして猿山まで300mの登り。狭いながらも舗装された林道を静かに登った。聞こえるのは遠くの潮騒と自分の息遣い。急登で流石に汗が出た。登りきると遠くに真っ青な大海原が望めた。苦労の甲斐があったと言う感じ。そして一気に海抜0mまで下って外浦海岸に到着。この辺は通過する車はさらに少なくなる。通過する車はまずないようなロケーションだ。この外浦海岸から皆月海岸までの数Kmの短いルートは一番のルートだった。入り組んだ入江と大小の岩島、集落、それが青い海と空にまざって絵画的だ。そんな風景の中を快適に走れた。なんとも幸せなひと時。
この幸せなひと時が終るとまたまた登りになった。海岸沿いには道がない。登るしかない。ここから番場山への登りになった。GPSの地図をみると途中で消えている。しかも道は舗装されているがさらに狭くなり大きな草が左右から覆いかぶさってやっと自転車が走れるような感じになった。しかも、「急登」。GPSは15%以上を示していた。喘いで汗を流し、とうとう歩いた。こんなところで何らかの事故が起こったらおしまいだろうな、なんて不安に思いながらも登るしかなくひたすら登った。天気がいいことがなにより助かった。海抜0mから二回目の300mの登り。25分間の苦闘でした。GPSの地図には無い林道がかすかに続いていた。
さて、快適に林道を下り始めると分岐が。樽見という部落だ。躊躇することなく海の方向に曲がってさらに下った。3kmくらい下ったところに2軒の家屋が集落を作っていた。何とまあこんなところにどういう訳があって住んでいるのか、何て考えながら通り過ぎると何と、道が途絶えていた!!!
呆然としてた。仕方なく先ほどの集落に戻ってその中の一軒に立ち寄った。こんな場所ながらそれなりに立派な家屋。軽トラックも置いてある。農家のようだが庭も綺麗に手入れされている。一体どんな人が住んでいるのかと興味があったが台所から出てきたのが60台のご婦人。訪れる人もなさそうなこんな場所に住みながらうっすらと化粧し口も赤く塗っていた。言葉遣い、しぐさも実に上品。驚いた。若いころはかなりの美人だったはず。聞くところによるとこの先はがけになっていて通行できないとのこと。先ほどの分岐にもどるしかすべがないらしい。
改めて3kmの道を登り返してようやくのことで県道に出た。ほっと一安心。県道からは海岸を目指して下って上大沢の集落に。ここもこの地方の典型的な家が立ち並んでいる。海岸に向かった家の前は間垣と呼ばれる竹の束を防風に使っている。ここから海岸に沿った道を同じように走った。この辺も通過する車はなさそう。生活する車だけがまれに通るだけ。
ようやく輪島市に入ってから遅い昼食。ここまでは食事をする場所も、食べ物を売っている店も、自動販売機も何にも無かった。ここで今夜の宿泊場所を決めた。もう少し遠いところまで走る予定だったが思わぬヒルクライムで時間を取ってしまったので今夜は輪島から50km位先にあるの禄剛埼に決めた。旅館に電話で予約。宿泊場所が決まったので少し安心してここからは少しだけゆっくりと走りを楽しんだ。
禄剛埼までの途中のポイントは千枚田(写真右)。ここはガイドブックにも載っていたので興味があった。さすがに圧巻だった。小さい面は1平米以下のもあるらしい。そして現在は1003枚あるらしい。こうした棚田は日本人の繊細さ、勤勉さを示すものだ。白人には理解できないだろう。
輪島からも同じような道をひたすら走った。途中で日本一周中という旗をかかげた自転車に遭遇。少しだけ並走して話をした。小さなアップダウンを繰り返して宿の直前にはまた100mの最後の登り。宿がある狼煙地区についてから禄剛埼灯台を見物。5時ころに投宿。
宿は漁港の目の前にある古い建物。廊下、階段をあるくとぎしぎし音がする。トイレも共同。狭い。流しはブリキ製の共同。ある意味で懐かしい。同宿者はオートバイの青年が二人。
夕食は流石に海の幸がどっさり。部屋食。美味しくいただきました。
8時ころになると漁船が続々と帰ってくるのが窓の外に見えた。今はカワハギらしい。酔い覚ましに出かけてみた。お父さんが一人で乗るような小さな漁船が戻ってくるとお母さんとお婆さんが待っていて一緒に網を揚げていた。網にはあまり魚がかかっていない。こんなものなのか。ちょっと寂しかった。威勢のいい活気のある魚の水揚げ現場を想像していたが意外としずかだった。
二日目:120Km獲得標高:1900m
今日は思いがけず登ってしまった。お疲れさま。




三日目

 
宿を7:40に出発。今日は曇り空。しずかな漁港を後にした。
昨日までと同じように海岸に沿って走った。ガイドブックによると能登鉄道が廃止になって旧蛸島駅の近くには列車がそのまま残っているとあったので一応見る予定だった。ところが海岸に沿って走ると旧蛸島駅の前を通らずに行き過ぎてしまったらしい。途中で気が付いて戻った。結局それだけの価値があったかどうか疑問(写真左)。
九十九湾の近くで同じように自転車で旅をしているかわいい女子大生と遭遇。入門者用のキャノンデール、ノーマルペダル、タイツにジャージ、ヘルメットと言ういでたちでいかにも初心者風。それでも前日に金沢を発って輪島まで走って、そこからバス輪行してきたらしい。走る方向が同じなので一緒に走ろうかなんて思ったりしたが結局見栄を張って先に走った。
能登町では道の駅で買い物。魚介類を買って宅急便で送った。これ家族への義務も果たしたことになる。
能登町を過ぎるとだんだんと都会に近くなっているのが感じられた。別荘地も現れて家並みの雰囲気が変わってきた。道には大型トラックも増えてきた。それでも相変わらず海岸に沿った道をひたすら走った(写真中央)。相変わらず大きな黒瓦屋根の家が多い(写真右)。
でも何となく寂しくなってきた。それまでとちょっと違う。奥能登の雰囲気がだんだんと消えていくのが感じられた。
穴水町を通過してから「ツインブリッジのと」を渡って能登島に入ってここを一周した。島といいながらかなりの大きさ。一周40km。ここも海岸に沿って走りたかったが一番外側の道でも畑の中の道になった。米の収穫のまっさかりだった。島に入ってから七尾市の旅館を予約。
能登島をほぼ一周してからは能登大橋を渡って和倉温泉を通過。ここまで来るとまさに都会に戻ってきた感じがする。そして七尾市の旅館へ。我がGPSは旅館のデータベースもあるのですぐに見つかった。すばらしい。このGPSが今回の旅でどれだけ助かったことか。どこに行くにしても安心して走れる。価値ある10万円である。
七尾の旅館は市内にある典型的な古くからの家族旅館。廊下はぎしぎし音がしないが古い建物。うつくしい女将さんが迎えてくれた。工事関係の男が数人同宿。長期滞在らしい。食事はいつものようにビールと冷酒とともに美味しく頂いた。
さて、明日はどうするかいろいろと悩んだ。金沢に戻るか、北陸路を富山、直江津まで行くか、、、、いろいろと考えたが結局明日中に自宅に帰ることにした。これまでの奥能登の最高の雰囲気の中で走ってきてこれから都会で車に追いかけられながら走ることに違和感を強く感じていた。楽しかった記憶をしばらくはそのままに維持したかった。
三日目:170km獲得標高:1300m
ちょっと長距離だった。


四日目


7:40に旅館を後にした。
すぐに200mの峠を越えて海岸にでた。ここも静かな峠だった。峠をくだるとそこは国道160号。時々大型車も通る。
ひたすら海岸沿いの道を走る。軽く踏んでも30km以上になる。風向きが追い風になったようだ。曇り空で気温も低め。走りやすかった。
そして氷見市内へ。ここは不二子富士夫の故郷だとか。忍者ハットリくんとかいろいろなキャラクタが商店街に飾られていた。いろいろなキャラクタが登場する大きなからくり時計も近くにあった(写真中央)。どこも町興しに懸命だ。
氷見線の始発駅・氷見駅に9:30に到着(写真右)。終りました。
あ~~あ、楽しかった。満足満足。こんな自転車の旅をしたかった。それが実現した。幸せなりや我が儘人生。あは。
四日目:40km獲得標高:350m